あけました

おめでとうございます!
昨年もお世話になりました。
 
修論の提出がもうすぐです…
先生がこの前つぶやいていた
「歴史はほんとうは、つるつるしていなくて、ざらざらしているんだよ」
その言葉がすごく心に残っている
つるつるさせてしまうことは驚く程簡単で、あまりにも危険だ。
 
それでは、とにかく、
今年もよろしくお願いします!

内輪ネタ

パリで出会った徳山知永(とくやまともなが)さんというプログラマ・アーティストのインタビュをたまたま見つける
http://aar.art-it.asia/u/admin_edit1/BL3dwJ6PjRQeUxtMu45f/
知永さんは、石上純也とか著名な日本人建築家ともコラボレートしているすごい人で、料理が上手な優しいお兄さん。そして異常に頭が切れる。
記事の中で、知永さんが、プログラミングのような非現実の中に身体性を見ているのが面白い。触知できない世界をどう「物」の世界に提案するか。
現代では、インターネットや情報があふれすぎていて、現実と非現実はつながっているのかもしれない。あるいは、逆転しうるものになりつつある。(オタクにとってはネット上の方が現実よりずっとリアルであるとか)
それが現実の身体性にどう影響するのか。どうその定義を広げるのか。
 
一方で、こういう頭脳ゲーム的な世界と、自分が大事にしたいと思う日常とか肌触りの感覚は、乖離している気もしてならない。
この違和感を乗り越えてつながりが見えたときモノとしての作品に批評性が生まれるのだろう。
 
ちなみに同じページに私の好きな杉本博司さんと、過去の修論パラパラ見てたらこの人すごいわーってなった木内俊克さんがいてびっくり。なるほど藤村龍至

ダメ

無事東京に帰ってきました!
パリの滞在は短すぎたけど、得られたものはあったと思う。
これから整理して消化していかなくては。
 
とりあえず友達とやっていたコンペを提出。

tepcoのコンペで、テーマは「ダメハウス」。
「ダメ」というキーワードから、自由に建築を発想するというもの。
私たちはコンペという制度自体にも批評の意味を込めて、あえて正当法ではない答えを探した。
 
「私たちの周りで増え続けるマドリ。
 そこから建ち上がる世界がどうなるのか、探ってみたところ、マドリが実体とは乖離したまま増殖していってしまうただのキゴウでしかないことに気付く。
 そこには不安定な空虚しかない。」
 
「マドリ」は情報一般の象徴体でもある。
多くの情報が削ぎ落とされたまま自己コピーを繰り返すキゴウの氾濫を、私たちはいつの間にか当たり前だと思ってしまっている。この案は提案ではなくただの漠然とした不安である。
いろんなことを考えさせられるコンペでかなり面白かった。相談に乗ってくれた方々ありがとうございます。
 
それにしても修論へのエンジンがいまいちかからずただのダメ人間。こりゃいかん

mur mitoyen

修士論文は、共有境界壁についてです。
パリは日本と違って基本的に建物が隣り合っているので、壁が共有されている。
たまに隣が壊されると、この壁があらわになって、隣の建物の記憶を蓄積する。

この壁は、隣地境界というとても微妙で繊細な関係のネットワークとして、都市を構築している。
ここではもはや、建物一戸という概念はあまり意味を持たず、街の中の一部に住んでいるという感覚なのである。
一方で、そんな風にいつの間にか潜在意識化していた存在の壁が、道が通ったり、大きなマンションが建ったりという変化の際に、ふいに現れてくる。


それはパリ人のキャンバスですらある。
 
所有と建築と都市。
長い時間をかけて熟成していく都市は、この関係の中で新陳代謝を繰り返していくシステムを持っている。

図書館

無事パリ3日目になりました。
Archive de parisという図書館に毎日通い詰めています。
何をやっているかというと、100年以上前の建築許可申請をひっぱりだしてきて、ぼろぼろの図面をひたすら写真に撮りまくるという感じのことをやっています。

↑ものすごくお世話になっている大阪産業大学の先生
 
昔の手書きの図面は絵のように繊細で綺麗です。
驚いたのは、図書館がけっこう混んでいて人気の場所は席が空いてなかったりするということ。
こういう図面をちゃんと保管して誰でも閲覧できるようになっていて、それを研究している人がこれだけいる。
歴史の研究がパリの街の基礎というか、この街にとっては当たり前のことなのだろうと思う。
 
欲しい資料はあったりなかったりで、なかなかひやひやしますが、もうしばらくこんな生活を続けてきます